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IT業界の感想

チャレンジ目標制度は東芝だけのものではなかった

はじめに

チャレンジ目標制度(以下チャレンジ)が東芝だけのものだと思っていたら東芝だけのものでなかった。
いやまさか、どう見てもあんなパワハラが横行しそうな制度取り入れてるのなんてごく一部だけだろうと思っていたらそうでもなかった。

チャレンジとは

トップダウン的に役職が上のものから目標を設定していって、末端にいたるまで目標を設定し、目標に向けて行動することによって、社長の考えた目標を達成しようという枠組みである。最も上位の目標は利益に直結するものが設定される、会社なので。

社長「今年は営業利益20%アップしたい。」

事業部長「売上30%アップだ!」

部長「売上40%アップだ!」

課長「売上50%アップだ!」

「いきなり50%もアップするわけないだろ常識的に考えて」

なぜ東芝だけのものでないとわかったか

会社でチャレンジするぞ!というお達しが回ってきて、研修に行ったらチャレンジを広めるコンサルタントがいた。
「めっちゃいい制度なんすよ」と言っていた。それはねえ君の主観なんじゃないかと。
「するぞ」じゃねえよ、ひとりでやれよ。

研修では平社員にやる気出させて会社の売上増加できますという触れ込みだった。
導入したことによって改善されたことの事例が紹介されていたが、平社員上司から丸投げされたことを努力で解決する美談という例ばかりで、はっきり言ってなんのメリットも感じられなかった。
たまたまうまく行っただけであって原因がなにも解決してないじゃんと思った。

コンサルが強調していたのは、”平社員ひとりひとりの自発性を引き出すために、社員のモチベーションがプライベートに由来するものでも許してあげよう”ということだった。どういうことかというと、社員が「早く帰りたい」という動機でチャレンジしても、実は介護や子育てをやってるかもしれないので、頭ごなしにけしからんと決めつけてはいけないとのこと。上司は神か。

チャレンジの悪い点

チャレンジした結果、チャレンジはやはりやめておいたほうがいい。

仕組みとして無駄が多すぎ

社員全員が目標設定するのがそもそも無駄。利益上げたいのなら経営陣だけで目標設定すればいんじゃないの?
目標立てるのにものすごい時間取られてるんだけど。この時間を睡眠に使ったほうがよっぽど生産性上がるわ。

例えばライン作業やっている人が売上アップのために、「◯◯工程を効率化する」とかそれらしい目標立てたとしても、営業が受注取ってこれなかったらその時点で最上位の目標を達成できなくておしまい。下っ端が利益目標を立てても意味ない。

仕事というのは(会社によって違いはあるだろうが)すごい大雑把に書くと以下の流れで進行すると思っていて、社員全員が社長の利益増加計画のこと考えながら目標作るのって、生産計画を社員全員が考えてるようなものだと思う。そして日常の業務で「社長が今期20%アップって言ってるから、俺も生産性20%で頑張るぞー」ってなるかというと当然ならない。だって俺の作業と会社の営業利益目標関係ねーし。

  1. 生産計画を立てる
  2. 営業が生産計画に近い量の仕事取ってくる
  3. 平社員が取ってきた仕事を遂行する

反対に考えると、チャレンジする企業というのは生産計画を立てずに行動しているだけなのかもしれない。計画を立てられないからこそ、個人の頑張りというブラックボックスに期待して利益を出そうとしているのだろう。
このチャレンジを絶賛していた役員は「システム開発は原価がただみたいなもの」と発言しており、上司が人件費を原価として認識していないという衝撃を受けたのは余談である。

個人に責任を押し付ける制度

トップダウンで降りてきたよくわからん目標を前提として、自分の目標を作るわけだが、業務とはそんなに簡単に効率化できるものではない。例えば上司から「開発時間20%削減」とか言われた場合思うのは、「削減できるならとっくに削減してるわ」ということ。仮にそんなに簡単に削減できたとしたら今まで力を隠していたということではないのか。「ほう、ならば私も拘束具を外させてもらいますよ。」

当然目標は達成できず「なんでできてないの?」と上司から詰められるわけだが、「なんでできると思った?」となるだけでなんの利益も生み出さない。
結局の所、本来組織として改善が行われるところを個人の責任にして嫌がらせしているだけ。
個人に責任を押し付けても隠蔽工作されたり、有耶無耶な目標設定されるだけでなんの意味もない。

東芝だと、目標利益を出す(捏造する)まで執拗な叱責が続き、売上を水増ししたりして、積もり積もって2000億円粉飾していたようである。

数字で評価することの弊害

コンサルは「定量的な目標を設定して結果を分かりやすくしましょう」と言っていた。事例では数字を使って分かりやすくと書かれてあったが、はっきり言って危険すぎる。なぜなら人間は数字でしか評価されない場合、自分を良く見せようとして結果を取り繕う生き物だから。隠蔽されるとか有耶無耶にされるのがオチ。

そもそも本質的な業務というものを数値で測るのは難しいというのがある。数値だけにこだわると、本質的な業務改善を行おうにも数値目標が立てられないため、目標そのものが目先の小手先に頼ったものにならざるをえなくなる。例えば、「エクセルに画面キャプチャ貼るの自動化します」のような。
本来は数値目標が立てられるかとうかにかかわらず無駄なものは削るべきなのだ。

まとめ

  • チャレンジは責任のなすりつけあいをうみ、人を幸せにしない。
  • 目標の立てやすい、わかりやすいことが優先され、チャレンジごっこに成り果てる。